中国の武将曹操が好きなんです。
こんにちは。世界史周遊記です。
僕は高校世界史の中でも、中国史が一番好きでした。
中国史ってワクワクしませんか?
高校生だったときの僕は世界史の教科書や資料集を開いてニヤニヤしていました。
新しいことを知れるって楽しいですよね!多くの教養と刺激を与えてくれる世界史は高校時代で唯一楽しかった教科の一つでした。
今回は中国史に出てくる有名な武将、曹操について世界史周遊記を書いていこうと思います!
最後まで読んでもらえるとうれしいです!
曹操は悪いやつだった?
「曹操は悪者」というイメージが、古くからあるようです。
その理由としては、「三国志演義」という中国の三国時代の歴史が書かれた書物の中で伝えたいメッセージに原因があるようです。
「三国志演義」では「曹操は悪いやつ!」一方で曹操の敵だった「劉備元徳はすごい!」というイメージを持たせたかったからだとされています。
しかし、近年になって曹操のイメージが変わってきています。
政治家や軍事家、文学者としての才能を発揮していたことが現在になって認められています。
また、多くの功績を残した人物であるとして再評価されているのです。
例えば、1960年代、中国で中国共産党を牽引した毛沢東は、曹操を高く評価していて、政治的なメッセージを発表するときに曹操の言動を引用していたと言われています。
曹操が残した功績
政治家として
曹操は、家柄に関わらず、優秀な人材を登用しました。
そして、中央集権化を強化し、支配地域の経済回復、発展に努めました。
彼が行った数ある政策の中で、農業政策の1つに画期的なものがあります。
それが、屯田制です。
曹操は、持ち主のいなくなった土地を農民に与え、集団で農業に従事させて税を納めさせました。
それによって農業生産率が高まり、軍事的食糧不足が解消されました。
軍事家として
曹操は、孫子の兵法を注釈したことで知られています。
孫子の兵法とは、紀元前500年ごろの春秋戦国時代に書かれた戦争における戦術書です。
斉という国に住んでいた天才、孫子によって書かれた戦術書です。
曹操は政治的な統率力だけでなく、軍事的采配の実力も兼ね備えていました。
そして、独自の経験やノウハウを織り交ぜた、具体的かつ実践的な注釈をつけて再解釈を試みました。
その分かりやすさや読み応えのある解釈は、広く多くの人に受け入れられ、時代を超えて読み継がれることになります。
現代でも孫子の兵法は曹操の注釈によって世界中で読み継がれているのがその例です。
文学者として
また、五言詩を復活させたことで知られています。
曹操は、文学サロンを立ち上げ、当時人気のなかった五言詩を復活させました。
この五言詩はのちの文学界の基盤となっていきます。
かの有名な詩人である、杜甫や李白といった名だたる詩人もこの五言詩で有名になりました。
そういった、文学界の基礎を作った人物でもあるんです。
曹操の最期
赤壁の戦い
三国時代といえば、赤壁の戦いが有名ですね。
「魏・呉・蜀」の三つの国が群雄割拠していた三国時代、
赤壁の戦いは、呉の劉備と蜀の孫権が共闘して曹操の魏を倒したことで知られています。
追い込みで仕掛ける戦法を得意としていた曹操でしたが、今回は敵の数が想定より上回っていたことから、敗戦を喫したとされています。
いかがだったでしょうか?やっぱり曹操はかっこいいですよね〜。
惚れ惚れしちゃいます。
昔は悪者として描かれることの多かった曹操でしたが、彼の残した功績は、現代にも影響を与えているものが多く、今もなお多く人物に影響を与えています。
僕も曹操から影響を受けたうちの1人で、高校のときに彼と出会ってなかったら、僕の人生はこうはなってなかったと思います。
それでは今日はこの辺で!