こんにちは!世界史周遊記のkotomoです。
今回は、「禁酒法」についてお話していこうと思ってます。
「高校の世界史で習ったけど、どんな内容だったか忘れた」
「アメリカの法律というのは知ってるけど、なんで制定されたかは知らない」
そのような方々もいらっしゃるのではないでしょうか。
お酒が好きな方にとって、飲酒を法律で禁止されてしまうことはかなりしんどいことですよね。
アメリカでは、実際に飲酒が法律で禁止される時期が確かにありました。
今回は、なぜ、禁酒法が成立したのか?
その背景にある当時のアメリカ人はどんな思いで生活していたのか?
禁酒法によって”ある意味”有名になった人物とは!?
今回も、教科書には載ってない世界史の裏側について楽しくまとめているので、
最後まで楽しんでいただけるとうれしいです!
禁酒法とは
禁酒法とは、
1919年にアメリカ合衆国で施行された、「酒類の製造販売を禁止、規制する法律」のことです。
禁酒法成立の背景には2つの要因があると考えられています。
①アメリカのキリスト教道徳を守ろうという保守派の動きがあったから
アメリカには、15世紀のヨーロッパの侵略をきっかけに、キリスト教が普及しています。
当時、アメリカ大陸へ移住し、増え続けた移民の影響を受けて、日常的に飲酒する文化や習慣がアメリカ国内へ広がっていきました。
生活がままならない下層民においても、習慣的に飲酒をする人々が増えていき、仕事と生活にメリハリのない、非生産的な生活が続いていました。
そのような状態にメスを入れたのが、アメリカのキリスト教道徳を守ろうという保守派です。
彼らは、19世紀後半から禁酒運動はいくつかの州で活発に行われ、地道な「酒場反対運動」を広げていきました。
②アメリカの第一次世界大戦参戦
その禁酒運動の後押しとなった大きな出来事として、アメリカの第一次世界大戦参戦があります。
まず、国内世論に変化が起きます。
アメリカの第一次世界大戦参戦をきっかけに、
「穀物消費の節約し、生産性向上に努めて戦地に大量の食糧を送り届けよう!」
という国内世論が強まっていきました。
それは結果として、「酒の原材料である穀物の消費をできる限り抑えよう!」
という禁酒主義者寄りの意見として国民に広く受け入れられることになっていきました。
また、第一次世界大戦に参戦したアメリカの敵はドイツです。
アメリカの参戦のきっかけを作ったのが、まさにドイツが起こした無差別潜水艦事件です。
この事件を通して、多数のアメリカ人が死亡するという悲惨な結果を招きました。
その結果、アメリカ人は徹底的にドイツのことが嫌いになります。
そこでアメリカ国内で生まれた世論として、
「ドイツの主要産業であるビール醸造業を潰して、ドイツに打撃を与えよう!」
という主張が支持されるようになったのです。
この国内世論も、結果として、禁酒主義者の支持を集めるきっかけとなりました。
戦間期に訪れた思わぬ副産物が、禁酒運動の機運を盛り上げ、戦後の法制定に繋がっていくことになります。
反禁酒法の動き
しかし、飲酒を完全に撲滅することは難しかったようです。
闇のブローカーたちによって、秘密の酒場が経営さて、その商売はたちまち繁昌することになります。
また、密造酒が高額で売買されるようになりました。
そんな、当時禁酒法が制定された世の中に目を付けて、うまく利用した1人の男がいます。
シカゴのギャング、アル=カポネ。
酒の密造、密売により大儲けし、闇の世界で一時代を気づいた人物です。
カポネは3年で700人の子分を持つほどに力を付け、シカゴの市長や警察を金と力を使って買収。
シカゴの賭場と闇酒場を支配しました。
当時、カポネにとって強力な競争相手がいたのですが、彼は自身の手下や警察官を使って相手の密造酒の倉庫を襲撃。
金と力を駆使して、密造酒ビジネスの独占を実現することになります。
1929年の聖ヴァレンタイン・ディ2月14日に起きたこの襲撃は、「聖ヴァレンタインデーの虐殺」として後世に語り継がれることになります。
32歳にして、酒の密売、賭博、恐喝その他の違法な利益をあげるほど勢力を拡大したカポネ。
禁酒法の制定によって、シカゴはカポネによって支配されることになったのです。
いかがでしたでしょうか?
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!!